Kay Music Academy

〜子供から大人のためのピアノとチェンバロレッスン〜

植山 けい バッハ:パルティータ全曲演奏会

今年11月と来年4月に、J.Sバッハの名曲:パルティータ全曲演奏会を行う運びとなりました。

お蔭様で11月公演は完売となりました。4月公演のチケットをご希望の方は、お早目のお申込みをお願いいたします。

 

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東京、初台にあるオペラシティ内にある、大変素敵なチャペルの様な近江楽堂は、約100名の贅沢なスペースです。http://www.oumigakudou.com/

11月14日(金)19:00、また4月3日(金)19:00の2回で全6曲を演奏致します。バッハ好きな方、ピアノやチェンバロにご興味のある方、どうぞお気軽にお越し下さいませ。

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チケットお申込はこちらからどうぞ。

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曲の時代背景を少しご紹介させて頂きます。バッハの人生と共に様々な名曲が生まれました。

1723年に、バッハはトーマスカントル(聖トーマス教会付属学校の音楽担当教師)および市の音楽監督に就任しました。

その時には、すでに長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの為に書かれたインベンション&シンフォニア、フランス組曲、イギリス組曲、平均律、ブランデンブルク協奏曲などの数々の名曲を生み出していました。ライプツィッヒにて、自費出版をしたパルティータはOpus.1(当時、出版した作品しか作品番号はつけなかった)として、特に思い入れの深い曲集でした。

1802年、バッハの初めての自伝を書いたフォルケルは、「この作品は大きなインパクトを与えた。このような素晴らしいクラヴィーア曲はかつてなかった。この曲集をよく演奏できた者は誰でもこの世界で成功することができた」とまで言っています。

18世紀ドイツには、隣国のイタリアやフランスから違う音楽様式が”輸入”され、ドイツの音楽家も多くの影響を受けていました。ヘンデルやJ.Sバッハの末っ子であるヨハン・クリスツイアン・バッハは、憧れのイタリアへ留学し、その後イギリスで大活躍をしました。

オルガニスト、また宮廷音楽家の職を転々としたバッハは、外国へ長期滞在する機会にほとんど恵まれていませんでした。しかしバッハの興味はドイツ国内の著名な作曲家に留まらず、多くのイタリア、フランスの作曲家の音楽を写譜することにより、吸収して学びました。大変な努力家と思います。バッハの素晴らしさは、それらの要素を自分の音楽感と融合させ、独自の音楽を生み出したことです。

パルテイータの6曲には、イタリア様式、フランス様式が見事に融合し、常に変化し、新たな可能性を探求した曲です。

ゴルトベルク変奏曲という大曲を2011年に録音させて頂き、いつかパルティータ(プレリュード、アルマンド、クーランと、サラバンド、ジーグの舞曲を基本としている)全曲に取り組みたいと考えておりました。

音楽は一生勉強、日々発見だと思います。

バッハが残してくれた音符とチェンバロの音色と共に、少しでも多くの方と彼の音楽を楽しめる空間となりましたら、幸いです。

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