Kay Music Academy

〜子供から大人のためのピアノとチェンバロレッスン〜

追悼

数日前に、大叔母が亡くなりました。 私が幼稚園の時に、初めてピアノレッスンをしてくれたのが、叔母でした。

今でも覚えているのは、【ピアノのために】という緑色の横開きの本をレッスンで使い、よくできると、沢山あるシールから選んで張れるのが、 とても嬉しかったです。

いつもレッスンの10分くらい前になると、家の外に出て、遠くから大叔母さんが歩いてくるのをずっと待っていました。 遠くに見える大叔母さんが段々と近ずいて、レッスンに来てくれるのを、今か今かと待っていました。とても懐かしい良い思い出です。

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今から思うと、大叔母さんのおかげで今も【音楽】という一生の友、として私の人生にとって最も大事なことと出会えたのだと思います。

幼稚園のあの時、まさか自分が音楽の道へ進むとは、微塵も考えていませんでした。 ただ、毎回のレッスンが楽しくて、どんどん新しい曲を弾けるようになりたい!と夢中でした。

 

 おばさんと2年ほどレッスンをした後、桐朋学園大学付属 子供のための音楽教室を受験し、小1から中3まで9年間毎週土曜日に聴音、そしてピアノレッスンを吉祥寺の先生に通いました。 優しかったおばさんとは、全く違う、とても厳しい道のりでした。入室試験では、すでに5歳でバッハのインベンションを弾いている子もいて、全体のレベルの差が大きかったと思います。

晴れて、桐朋女子高等学校(音楽科)、桐朋学園大学へ進むことができましたが、受験や試験を乗り越えられたのは、一生懸命ご指導頂いた先生と、常に横で支えてくれた母のお蔭だと思います。

練習しないといけないのに、場所がどこも見つからない時は、当時、大学近くに住んでいた大叔母に電話して、練習をさせて貰いに何回か行ったことがあります。大叔母さんは、お茶を居れてくれて、いつもニコニコと色々な話をしてくれました。私が練習やレッスンで張りつめていた時でも、優しく包み込んでくれました。 音楽をやって居る人だからこそ分かる、音楽の厳しさを理解し、暖かく見守ってくれていたのです。

 大叔母さんの3人の子供(私の叔父、叔母)は、音楽家で、それぞれオーボエ(オーストリア20年以上在住)、パーカッション(スイス20年在住)、歌です。音楽を続けるということは、並大抵の精神力ではありません。ましてや音楽を仕事にするということは、大変な覚悟が必要です。

大叔母さんが亡くなった今、私たちの人生の中に音楽があるということが、何よりも大きな大叔母さんからのプレゼントなのではないかと思います。 そして私にとって、大叔母さんはピアノの原点であり、”ピアノの楽しさ”を自然に教えて貰いました。

改めて、始めの先生がどれだけ重要かということを、痛感します。

6月28日に、ピアノ生徒さんによるミニコンサートに向けて、始めたばかりの生徒様も含めてレッスン中です。私が幼稚園生だった時のピアノのレッスンの記憶の様に、待ち遠しいほどに楽しかったピアノの時間を、 少しでも皆さんと分かち合えるような、そんなレッスンをしていけたら良いと改めて考え直す機会となりました。

大叔母さんに心から感謝をこめて、これからも音楽に励んでいきたいと思います。合掌。

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