Kay Music Academy

〜子供から大人のためのピアノとチェンバロレッスン〜

音楽留学について

帰国してから、日本の音楽教育を受けた後に、海外留学についてご相談を受けることがあります。
1人1人、どの様な先生とレッスンをしてきたのか、レベルや目標によって、そしてその方が『何を求めて』留学したいかに寄っても、行き先は様々な可能性があると思います。
留学先を決める前に大事なこと。

1.どんなレパートリーが好きなのか、極めたいのか。(フランス、ドイツなど)
2.アメリカとヨーロッパ(音楽の趣味が事なります)
3.誰と勉強したいのか(何よりも一番大事なのは先生です)
4.言葉(音楽留学だからと言って、話せなければ苦労の嵐です。芸は身を助けると言いますが、本当に語学力は身を助けます)


私は、アメリカへ2年ピアノ留学のつもりで、急遽1カ月で決めてバタバタっと飛行機へ乗り、まさか13年後に本帰国するとは、思ってもいませんでした。アメリカーオランダ―フランスの3カ国の音楽教育とコンサート、演奏活動を通じて、人々の中の音楽の観点、その国で音楽がどの様に人々の生活に密着しているのか、聞きに来る聴衆がいるのか・・・などの違いを見てきました。



日本での常識は、外国では常識でないこともあります。
場所が変われば、価値観も人々も全く異なるからです。

始めは戸惑う事も多く、留学1年目のピアノのレッスンの帰りには、いつも『今まで思い描いていた音楽やピアノレッスン』に対しての先入観が、どんどんと玉ねぎの皮をむくように(?!)剥がされていくのを感じました。

それは、若さの中で新しいことを吸収しながら、今までの自分の『音楽観』を改革)していったのだと思います。
私の中では、それまでの20年近くの音楽観を一度『リセット』したつもりです。その当時は、“捨てる”という感覚でしたが、実際は、幼少の頃に見に付けたテクニックというのは、どこにも消えないものです。今となっては『三日坊主』の私に、根気よく毎日の練習に付き合ってくれた母に感謝です。

まだ、若い時は柔軟性や順応性がありますから、心もフレキシブルに刺激を受けながら、どんどんと変化していけます。
そんな、数えきれないほどの見えない『ショック』を良い意味でも悪い意味でも受けながら、20代を過ごした事は、今の私にとって大変貴重な経験となりました。

というのも、人を自分の先入観で決めつけない。こうだと思っても、違う国へ行ったら全く常識がくつがえされることを経験したからです。

例えば、日本では『話し過ぎない、出過ぎない』というのは美徳とされています。
しかし、一歩日本から出れば演奏をしても、聴衆や先生、レコード会社の方、マネージャーなどにも聞かれます。


『あなたは、どうしてこの曲を弾きたいの?』
『次はどんなプロジェクトをしたいの?』
『どうして、この楽器を選んだの?』
『あたなは、何をこの曲で表現したいの?』

その時に、自分の意見、音楽家としてどのような観点で向き合っているのか、きちんと話せなければ説得力はまるでないのです。
演奏の中にも『説得力』がなければ、音楽家として認めてくれません。

そういう時に、ただニコニコ笑って意見を聞かれても、
 『良く分かりません・・・,I don`t know.』と言っても、首をかしげられるでしょう。

日本の”かわいい”では通用しないのです。アイデンテイテイー、意見を求められるているからです。
そして、音楽も自分の表現の1つとして、海外経験をすると、訴える力が強くなっていくでしょう。

外国人の方は、弾ける、弾けないに関わらず、子供でも『こう弾きたい』というイメージが強いと思います。
『自分がどの様に演奏したいのか』

それは、趣味でしている子供からプロの音楽家まで、『1人の意見』として、とても大事だと思います。


今、レッスンをさせて頂いている生徒さんの、様々なニーズに合わせて英語、フランス語、日本語で行っています。

ピアノ:
3歳の(フランス人&アメリカ人のハーフ)の子、アメリカ人&日本人のハーフの子、インドネシア人&日本人のハーフの子
日本人のご両親だけれどブリティッシュスクール、アメリカンスクールへ通っているバイリンガルな子供たち
初めてピアノを大人で始めている生徒様
音大卒業なさった大人の生徒様
海外留学経験のある大人の生徒様 


チェンバロ:
以前のピアノ生徒様で大人になられてチェンバロを始めている様。
プロのピアニストの方でコンサートでチェンバロを演奏なさりたい方。
香港や日本各地から飛行機でいらっしゃる方。

面白いことに、ハーフの子供たちは”独立心”が早くから芽生えるのか、隣で一緒に弾いてても
『弾かないで!』と怒られたり!?します。(笑)
または、永遠のプリンセスのように毎回ピンクのドレスを着てくる子。可愛いですが、♪より楽譜の絵に夢中です・・・

生まれて初めてのレッスンから4カ月後にショパンの雨だれを発表会で演奏なさった生徒様
日本のピアノ教育のきちんとした練習をして、メキメキと上手に弾いている子、プロの音楽家の方など素晴らしいテクニックを持っている方など様々です。
音楽と言っても、その人の生活にどの様に音楽家関わってきたかは千差万別です。
レッスンをする時に、私は決して無理に何かをさせようとは思いません。

それは、自分が日本の音楽教育で窮屈な思いをしたり、海外留学をして疑問に思う事が沢山あったからです。
アメリカへ行って、アメリカ人の先生がスニーカーでジャンプしながらバッハを踊って見せて、歌っていてビックリ!

日本の大学の先生は、ジーンズ&スニーカーでレッスンへ行くのは、暗黙の了解ながら禁止でしたから・・・
胃液”が逆流してくる位、毎週のレッスンは緊張して、大変厳しかったです。


その後に、アメリカのタングルウッド音楽祭へ初めて行ったら、小澤征爾さんとパールマンの名演奏を芝生の5ドル(500円以下)の席で家族一緒にバスケットを広げて、ワインにチーズ、キャンドルライトでピクニックをしている光景を見ってひっくり返りました!

音楽ってこんな風に楽しんで良いの?
衝撃の光景でしたね。本当に。

そんな色々な経験から、かなり柔軟にならざる終えなかったと思います。
頭は柔らかい方が良いと思います。


そして、バッハやモーツァルト、ベートーベンはこうあるべきという他人の先入観でなく、自分と作曲家の間で、自分の探求心と共に、その距離感やイメージが変わっていくのが自然ではないでしょうか。

私は、バッハのゴルトベルク変奏曲を録音する為に、猛烈に練習して、いざ録音するスイスの博物館へ到着して、1音出しただけで、380年前のチェンバロから生まれて初めて聞こえる音色と共に、自分のちっぽけなバッハ観が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じました。
実際、崩れていったのです。

かなりの困惑の中で、3日間まるで深い眠りから蘇ったかのように、刻々と変化していくチェンバロに、ただただ圧倒されながら、弾いていくしかありませんでした。
その時できることは、『受け入れる』こと。


自分よりも大きな物に対して、戦うのでなく、一緒に『同調すること』しかできません。
大きな自然を相手にした時と同じです。かないませんから!

改めて、バッハの音楽の無限な可能性、自分のちっぽけな音楽感を崩されました。

その後、2カ月間、自分の演奏を徹底的に聞きました。
人生で1000回以上自分の演奏を聞いたのは、初めてで、『自分の音楽の限界』を感じ、ブラックホールへ落ちた、絶望感も味わいました。
そして、その落ちる時は1人です。落ちるのも一人。這い上がるのも1人。

しかし、それが時間と共に色々な方に共感して頂けたり、ご意見を頂き、大変大きな励みとなり、またその経験を『捨てて』新しい目標へ向かって歩んでいくのみ・・・

ではないでしょうか。
音楽は、終わりのないエベレスト山みたいですね。

そして、1人1人ゴールも、どの様に上るかも千差万別です。

だからこそ、留学、そして毎週のレッスンも1人1人合った音楽との向き合い方を、一緒に探して行きたいと思います。

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