第4回バッハ公開講座 無事に終了!
皆様こんにちは。
第4回のバッハ公開講座は、いよいよ【インベンション】が始まりました!
インベンションシリーズを始めるに当たり、現存する資料内容など、ここでもご紹介させて頂きます。
皆様が楽譜を選ぶ時、指使いや装飾音を確認する際に、1つの楽譜だけでなく、バッハの自筆譜と比べて見て頂くと、まるでバッハのレッスンを受けた様に?彼の息吹を感じられますよ!
インベンション1番1ページ目。
有名なインベンションですが、ベルリン図書館にあるバッハの自筆譜には、後から書き加えたであろう、3連音符になっています。
ウイーン原点版には、バッハが書いた3連音符のヴァージョンも掲載されています。
現存する貴重な資料3つ
①1723年 バッハの自筆譜(ベルリン図書館所蔵)
バッハのオリジナルのスラーと装飾音が書かれている貴重な資料。バッハの生徒や家族などで、沢山写譜された。長男のレッスン中に書かれたと思われる。長男も作曲に参加しただろう。
②1720年 ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集(アメリカ・アメリカのイエール大学音楽学部付属図書館所蔵。)
1932年 Da Capo Press:New Yorkより出版。
Preambulumというタイトルのもと、15のインベンションが書かれている。 シンフォニアも書かれているが、c-mollがなく、D-durは未完成。長男のヴィルへ ルム・バッハによって書かれているが、父ヨハン・セバスチャンの監修によるものと考えられる。
大部分のインベンションとシンフォニアは父によって書かれている。
有名な装飾音の表が載っているのもこの音楽帳。
③1725年バッハの弟子ヨーハン・ニーコラウス・ゲルバーによる筆写譜(ハーグの国立博物館所蔵。ベーレンライターに、ゲルバー筆者譜のシンフォニア4.6.9.11.13番と5番のファクシミリが掲載されています)
この①-③の資料をもとに、Urtextと呼ばれる原典版がヘンレ、ベーレンライター、ウィーンより出版されています。
ここで、楽譜についての用語を整理してみましょう。
A 自筆譜ファクシミリ)
:作曲家が書いた楽譜。バッハが作曲した過程が読み取れる為、貴重な資料として現代の原典版の出版の際にも最も重要。
B 英:Facsimile of Manuscript, Autograph)
:自筆譜の忠実なコピーで、バッハの奥様アンナ・マグダレーナ・バッハ
(バッハと似た筆跡)や生徒の楽譜も現存する。当時は、コピー機もないですし、銅版印刷も大変高価な時代ですので、生徒やアマチュアの間で人気の曲は、多くの写譜が残されていますが、伝言ゲームと同じで、小さなスラーや装飾音など、少しずつ相違点も出て来てしまいます。
C 全集)
:学術的考証を十分に経ているが、批判的な注釈はやや短くなる傾向があります。
D 原典版
:「原典とは、本来音楽的に意味されていたものを最大限に忠実に保ちながら、
譜面の外見上は近代化された楽譜」
学問的批判的な版であると共に、実際に演奏に用いるための版で、たとえば指使いなども必要であれば指示に含まれます。
今回は、3冊の原典版を比べ、指使いも3通り違いますが、これはバッハが書いた指使いではなく、各編集者の案です。
ヨーロッパ人の手と日本人の手、そして1人1人使いやすい指使いは違いますので、参考程度にして、最終的には自分の表現したいフレーズを歌いやすい様に、考えることが最善ではないでしょうか。
また、数少ないですがバッハの残した指使いが書かれた他の曲などを参考にするのも、良いと思います。
【インベンション第1番】ヘンレ版
その他、日本の出版社やツェルニー版などは、バッハが何も記載していないくても ”Allegro” 四分音符=120の様にメトロノームのテンポ表記、また数小節に渡ってスラーを書いてありますが、これは、あくまで編集者のアイデアで、バッハではありませんので、よく見極めて下さい。
できるだけ、バッハの自筆譜を忠実に再現した楽譜を使用することを、お勧め致します。
バッハは、インベンションを1720年より書き始めましたが、始めは長男であるヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのために、レッスンで使用する為に作曲し始めた様です。また、その小曲集の冒頭にバッハ自身が書いてあります様に、”カンタービレで歌う様に弾く”奏法を身に付けるだけでなく、作曲も学ぶ目的とされていたことが分かります。
和訳
『率直なる手引き。クラヴィーアの愛好者、特に学習に意欲のある者が、まず2つの声部をきれいに弾くことを学び、
さらに進んでは3つのオブリガート声部を適切に処理できるように、またそれに伴い、優れたインヴェンション(着想)を得るだけでなく、それをうまく展開できるように、そしてとりわけカンタービレな奏法を会得し、同時に作曲のためのしっかりした予備知識を得るために』とある。)
当時の【カンタービレな奏法】とは、どの様な弾き方だったのでしょう?
想像することしかできませんが、バッハが愛したクラヴィコードで演奏することを想定すると、イメージが湧くと思います。
チェンバロは弦を弾きますが、クラヴィコードという長方形の楽器は、バッハだけでなく、長男、次男も愛した鍵盤楽器です。
オルガにストの自宅用の練習にも最適とされています。
指先と鍵盤のコンタクトがとても大事で、強弱、クレッシェンド、ビブラートも指先でできた、楽器です。
以下、クラヴィコード詳細はウィキぺデイアより引用させて頂きます。
クラヴィコードは鍵盤楽器の一種。14世紀頃に発明され、オルガンやチェンバロ、ピアノなどと並行して、16世紀から18世紀にかけて広く使用された。特にドイツ語圏の国々、スカンジナビア半島およびイベリア半島において盛んに用いられた。中世のモノコード(モノコルド)に鍵盤機構を付加したものから発達したとする説があるが、確実な証拠は残っていない。
長方形の箱形の楽器で、テーブルや専用の台などの上において用いる。音量はチェンバロなどに比べると小さい。1730年代以前に製作された楽器の多数は小型(幅4フィート、音域4オクターブ程度)であるのに対して、後期の楽器には幅7フィート、音域6オクターブに達するものもある。
内部構造は比較的単純で、左側に鍵盤、右側に響板が位置し、響板の下の空洞が共鳴箱となる。弦(真鍮あるいは鉄弦、通常は複弦)は左側のヒッチピンと右側のチューニングペグの間に張られており、チューニングレバーを用いてチューニングペグ側で巻き取って調律する。チューニングペグの手前にはブリッジが配されている。鍵は小さな金属片(タンジェントと呼ばれる)の取り付けられたレバー(てこ)となっている。 鍵を押し下げるとタンジェントが弦を上に向かって垂直に突き上げる。タンジェントによって分割された弦のヒッチピン側はフェルトによって消音され、タンジェントからブリッジまでの間の弦が振動する。この振動はブリッジを通して響板に伝わる。音量は鍵を叩く強さによって調整が可能である。また打鍵後も鍵を押す強さによってピッチが変化し、これを利用してビブラートをかけること(ベーブング)も可能である。 鍵を離すと弦からタンジェントが離れ、弦全体がフェルトで消音される。
タンジェントの接触によって弦の振動長が決定するという構造上、複数の鍵をそれぞれのタンジェントが弦にあたる位置を変えるようにして同一の弦に割り当てることも可能である(モノコードに類似)。こうした楽器は特に「フレッテッド・クラヴィコード」と呼ばれている。この技術によって必要となる弦が少なくなることから、楽器の製作が容易になる。その一方で、1本の弦では一度に1つの音しか出せないため、楽器の能力を限定してしまうこととなる。複数の音が割り当てられる場合、一般には同時に奏でられることが稀な音(例えばハと嬰ハ)が同一の弦に割り当てられるが、これにより例えば半音のトリルなどは演奏が難しくなる。18世紀には、各鍵ごとに一対の複弦が割り当てられた、「アンフレッテッド・クラヴィコード」も作られた。
オルガン奏者の練習用には、1つあるいは2つの手鍵盤と足鍵盤を持つクラヴィコードが製作された。電気式ふいごが発明されるまでは、オルガンの演奏に必要なふいごの操作は人力で行われ、多くの労力を要したため、オルガン奏者は練習にクラヴィコードを用いる事が多かった。そのため、この時期に作曲された「オルガンのための練習曲」は、より正確には足鍵盤付きのクラヴィコードを意図したものであるとの見解もある。
1400年ごろから1800年ごろにかけて、チェンバロ、ピアノおよびオルガンのために書かれた音楽の多くはクラヴィコードによって演奏することが可能であり、また実際に演奏されていた。家庭用の楽器として多くの音楽家に愛用され、例えばヨハン・ゼバスティアン・バッハの子であるC.P.E.バッハはクラヴィコードの熱心な支持者だった。また、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンのソナタのいくつかも、当時のドイツ・オーストリアで製作されていた比較的大型のクラヴィコードで演奏されたと考えられる。